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2021.07.7 / 日々のこと 未分類

日曜日の余韻

7月4日 日曜日に、球磨郡の郡民体育祭(郡体)が行われた。知らない間に打撲したのか、胸のあたりがまだずきずき痛む。

社員のほとんどが出場するため、郡体の日、日添は毎年お休みになる。今年が初めての郡体のわたしは、五木村のバスケ部の一員として参加した。

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五木村は人数が少なく、男子の部に男女混合で参戦した。ぎりぎりの人数の中、逆転劇で延長戦を制したりと健闘し、3位の賞状を持って帰ることができた。わたし自身も、高校の総体以来7年ぶりの試合だったけれど、身体能力が圧倒的に高い男性陣を相手に、女子のボールより一回り大きくて重いボールを使って、よく戦ったと思う。

バスケは、大好きで夢中になっていたころもあったけれど、引退する頃には、自分を嫌いになるための道具のようになっていた。才能がないとか、きつい練習を頑張れないとか、事あるごとに自分を責めていた。もちろん当時はそんなことには気づいていなかったけれど、そのよくわからないもやもやを解消しきれないまま引退してしまったこともあって、無意識のうちに、バスケの思い出には蓋をしてしまっていた。

でも、この郡体の日、試合とその後の打ち上げがすごくすごく楽しくて、心に残っていた傷が少し癒えた気がした。チームのみんなとたくさん笑いあって、久しぶりに、とても満たされた感覚を覚えた。

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人とのコミュニケーションで深い傷を負ったり、自分を心から信じきれない状態が続くと、だんだんと、一人でいることを好むようになる。それは、「一人の時間を大切にする」という類のものとは似て非なるもので、「どうせ誰も守ってくれない」という投げやりや、「誰とも会わない」という意地のようなものに近い。

わたし自身、そんな状態だった。けれど、この一日を経て、そして、その後に残った余韻に包まれて、人がつながることの力を、やっと思い出した気がした。信頼できる人々に囲まれ、その人たちとつながることで得られる安心感。どの本を読んでも書いてあったそのことの重要性に対して、ずっと心のどこかで疑っていたけれど、やっと腑に落ちた気がした。

人との間で生まれた傷は、人との間で癒されるのだと思う。

五木村のバスケ部の一員でよかったなと、今も、日曜日の余韻から抜け出せずにいる。

 

今回の記事を作成したのは
吉本遥
吉本遥さん

熊本市出身の25歳。東京での大学生活を経て小さな村での暮らしを望むようになり、2021年3月、五木村に移住。民俗学が好きで、古い道具や昔から続く暮らしの営みに触れるとわくわくします。